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「レイヴ大戦」主宰インタビュー

スポンサーなし、広告予算なし、クラウドファンディングなし、入場料無料の1000人レイヴ
「レイヴ大戦」主宰DJ Poyoshi インタビュー

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スポンサーなし、広告予算なし、入場料無料の1000人レイヴ

7月の「海の日」を含む3連休。
その真ん中の日曜に、大阪城野外音楽堂にて毎年開催されているイベントがあります。
その名はレイヴ大戦。
スポンサーなし、広告予算なし、クラウドファンディングも未使用。
入場料無料の完全DIYの野外フリーDJイベントです。
BPMが170を超える激しい4つ打ちが特長的な、ハードコアテクノと言われるダンスミュージックを中心に、オーバーグラウンドとは一線を画した様々な音楽が野外の大会場で鳴り響き続けます。

2009年からこの場所で開催されて以来、徐々に話題と人気を集め、
8回目を迎える今年は、この手の楽曲が中心のイベントでは異例の1000人を超える訪問者がありました。

レイヴ大戦が通常の野外フェスと大きく異なるのは以下のとおり。
大きな会場にフリーレイヴの精神を持ち込んだパーティと言えるでしょう。

・スポンサーなし、広告予算なしの個人主催
・入場無料、出入り自由
・会場内での飲酒・喫煙禁止
・ゴミ捨て禁止(ゴミは持ち帰り)
・老若男女が集まる(本当に、小さい子供から杖をついた高齢者までいる)

音楽人.net編集部は7/17に開催された今年のレイヴ大戦に参加しました。
ステージ手前の最前スペースでは10代~20代のオーディエンスが大空に向かって両手を上げて休むこと無く踊り続け、
座席ではおじいさんが手を上げてノッていたり、大阪城観光のついでに寄ってみた外国人がいたり、
座席のさらに後ろには人工芝と樹木による日陰スペースがあり、ステージから遠く音も小さいので、小さな子ども連れのファミリーがシートを敷いてくつろいでいたり…
それぞれの楽しみ方でレイヴパーティと向かい合っていました。
心配されていた天気(前日までの予報では雨)も崩れる事無く、12時からスタートした13のアクトが19時半頃に日暮れとともに終了。
最後は残ったお客さんと出演者や有志スタッフが会場のゴミ拾いをして解散。
最初から最後まで、とにかくピースフルな1日。


イベント終了から約2週間、オーガナイザーのDJ Poyoshi氏にインタビューをいたしました。
会場でリリースされたレイヴ大戦コンピレーションアルバムのプレビューを聴きながら読んでいただけると幸いです。

■■■■

2000年、パーティを始めた頃は主宰の僕が18歳、副主宰は17歳


-よろしくお願い致します。

DJ Poyoshi
お願いします!

-まず、レイヴ大戦というイベントはいつ頃からどのように始めていったのか、また始めた頃のコンセプト等あればを教えていただけますか?

DJ Poyoshi
レイヴ大戦ですが、そもそもは単なるハッピーハードコア系パーティの1つって感じですね。
2000年に僕とDJ勝也を中心に5人のレジデントDJと1人VJの固定メンバーで始めた感じです。
今の大阪城野外音楽堂と違って、週末深夜に中箱クラスの箱でやってました。
当時、主宰の僕が18歳、副主宰のDJ勝也は17歳でしたね。

コンセプトとしては、当時の大阪のハードコアシーンって、よくも悪くも硬派な感じで「男のハードコア」みたいな雰囲気があって、音楽的にはハッピーハードコアって言う超キュートな感じなのに、やってる人間やパーティはハードコアって感じで、そういった大阪のハードコアとは違うテイストでやりたいなと思ってました。

その頃、東京ではナードコアとかが凄く勢いがある感じで、僕としては凄い面白い事が起こってるなと感じていましたが、大阪のハードコアシーンからすると「オタク」「ヨゴレ」「ふにゃチン」みたいな印象をもってる人が多かったんじゃないでしょうか?
なので、そのノリをそのまま大阪にもってきても受け入れてもらえなさそうなので、エッセンスは多少意識しつつ、大阪でも他のパーティやお客さんから嫌われない程度にイロモノしてた感じですかね。

-18歳と17歳でクラブイベントを始める…というところにとても時代性を感じます。今じゃなかなか難しいですもんね。
当時の大阪のハードコアシーンの硬派な感じっていうのは、例えばどのような雰囲気だったんですか?舐められたらいけない!というような雰囲気だったんでしょうか?

DJ Poyoshi
そうですね。
縦社会感も凄かったですし、今思えば DJ達も平均年齢が若かったせいなのかも知れませんが、ハウスやテクノという音楽よりも、バカっぽいとかそういったふうにも受け取られがちなハードコアをやってるものとして、「俺らのやってる音楽は凄いんやで!舐めんなよ!」みたいな強がりもあったんかも知れないですね。
だから、それにオタクっぽいノリを付加しだした連中を自分達と別物!って言いたかったのかも知れません。

まあ、とにかくハッピーハードコアならL.P.U. RECORDS、ガバならINTERCEPTOR RECORDS系のパーティがカリスマで、みんなソレを目指してる感じでした。

-当時の大阪のハードコアシーンの中ではPoyoshiさんの若さもあって後発だったので、違うことがしたかったと。
レイヴ大戦というイベント名も、すこし砕けた印象ですね。イベント名のこだわりってあったんでしょうか?

DJ Poyoshi
そうですね。
英語のカッコ良い名前とかと違って、ちょっとアニメとかゲームぽい名前意識しましたね。
僕も今はDJ Poyoshiですけど、レイヴ大戦を立ち上げる時に「未来少年ポヨシ」って名前にしましたし、関西では相当弄られましたが、インパクトあったと思いますよ。

-サクラ大戦や未来少年コナンを彷彿とさせますが、両方共好きな作品ですか?

DJ Poyoshi
高校生の時はセガサターン派やったんで、サクラ大戦はやってみたかったですがお金無かったので未プレイです。
でも、多分 そこからのインスピレーションはあると思います。
未来少年はね。僕、当時 サイバーな服きてたので、それを見て、まわりのDJの子が「未来少年って感じやなー」って言うてたんで、そっから頂戴しました。

クラブでIDチェックが始まって、未成年がハードコアを体験できる場所を作りたいと思った

オーディエンスを煽りに煽りまくるNumb'n'dub


-大阪城野外音楽堂に場所を移す前までのレイヴ大戦の流れと、移すきっかけを教えていただけますか?また、なぜフリーのイベントにしたのかも。

DJ Poyoshi
2000年に中箱クラスの箱で開始したレイヴ大戦も、好評だったり、開催してたクラブとの諸々事情もあって、1年後には関西で、と言うか当時日本で一番のハードコアパーティと言えるラブノロジーと同じ難波ROCKETSに場所を移すまでに成長しました。
それからも、パーティとしてのストロングポイントはエンターテイメント性だったり、DJのビジュアルだったりって所が自分達でも整理されてって、より個性を打ち出していった様に感じます。
で、僕らは第一次レイヴ大戦って言ってるんですけど、中箱でのスタートから3年、2003年末に第一次レイヴ大戦は終わるんです。

僕はレイヴ大戦のレジデントの連中とずっと続けてても仕方ないしなーって思ってたので、他のDJとレイヴ大戦の流れを踏襲するようなパーティをやったりするんですけどね、なかなか、ずっと一緒にやってきたメンバーと違う人と新たな目標を描いても上手く行かなくて結局終わっちゃうんです。
んで、僕としては「もうDJなんてやめだー!」とか思って企画を立ち上げるのをやめて。
声かけて貰うイベントにはちょくちょく出る程度でやってました。

2007年頃かな?もう一回初心に戻ってって感じでレイヴ大戦を再開するんですよ。
それが第二次です。
で、盛り上がったんですけど、あんまり手応え感じなくて。
なんなんですかね。
結局、昔のレイヴ大戦を懐かしんでるだけやん!みたいになってて。

別にそれでも良いんですけど、もう一つなにかシーンに対して価値のあるイベントに出来ないかな?って思ったんです。
色々、考えて思ったのが、当時 クラブとかでIDチェックが開始された事に対する所だったんですよね。
僕は15歳から深夜のクラブに出入りしてるし、酒も夜遊びも音楽もクラブって言う刺激的な所で覚えたし、若い頃にそれを体験した衝撃があるから続けてると思ったんです。
そしたら、18歳以上の人しか入られへんクラブシーンに未来とかあるんかなって。

それで「昼にイベントやったらええやん!」って思いました。当時昼のイベントって周りにもなかったですし。
やっぱりハードコアみたいな音楽やからこそダンスミュージックの入り口になると思うし、若い子に来やすくないと!って。
後は、オタクっぽいというか、そういうクラスタの人たちって家でハードコア聴いてるんちゃう?って言う潜在的なハードコア層っておると思ったので、そういう人が「アメ村怖い」とか「夜中怖い」とか言わないで良いパーティやろうと思った訳です。

-なるほど。IDチェックについてはクラブはクラブで生き残るのにある程度の自浄作用が必要な時代になったんだと思いますが、一番意識したのは未成年が来れるイベントをやりたい!というところですか?

DJ Poyoshi
そうですね。未成年に体感して欲しいと思いました。
僕もCDやテープでテクノやハードコアを聴いてましたが、現場で体感するそれはCDとは全然別物だったし、音楽だけでもそうなのに、それに加えて同じ趣味をもつ人間とそれを分かち合える事は絶対体感して欲しいと思ってました。

野外フリーレイヴするのに、参考にしたと言うか、影響受けたパーティがあるんですけど、「DJやめよっかな」時代に誘って貰って出てた、オテントって言う大阪城で無許可でゲリラ的にやってたフリーレイヴ。
これに出た時に、結構良い時間に回させて貰えてたんですけど、今までハードコア聴いたこと無いやろって人達もガッツリ上がってくれてたので、無料でやったら、新しいハードコア客の開拓にもなるなと思いました。

-オテントはいつ頃開催のイベントですか?単発のイベントだったんでしょうか?

DJ Poyoshi
たしか、2005年から何回かありましたね。
多分、そもそもは2003年か2004年に花見してたDJが、花見の時に簡易でDJしだしたのが始まりなんですけど、2005年にはフライヤー作ったりしてイベントになってました(笑)。

-なるほど、まさにゲリラ的フリーレイヴですね。レイヴ大戦がフリーなのも、その影響でしょうか?それとも戦略的なものがあったのでしょうか?

DJ Poyoshi
影響あります。大アリです。オテントが終わってしまったので、僕がオテントやろうと思ったくらい。ほんとにローカルパーティながら、ポっと盛り上がったんですよ。お客さん300人くらい集まってましたし。
ほんで、フリーで開催したら色んな人が来てくれて、さっきも言うてたように、ハードコア聴いたこと無いような人もガンガン盛り上がってくれるので、これは美味しいと思った所にはじまり、フリーやったら高校生どころか小学生でも来れるやん!って所でシーンに種まき出来るな!って思いましたね。

最初の頃は10袋以上のゴミ袋を僕の家に持って帰ってイベント翌日に一人でお客さん達が飲んだペットボトルや缶を洗って分別してました

副主宰のDJ勝也。DJなのにT.M.Revolutionを歌い踊る


-なるほど、ただ、大阪城野外音楽堂という巨大な会場でフリーというのは、かなり苦労も多かったんじゃないでしょうか?

DJ Poyoshi
お金は苦労したのと、大阪城野外音楽堂の当時のスタッフさんがかなりDJ嫌いやったので、そこの誤解を説いていくのが大変でしたね。
「お前らDJやから酒飲んでバカ騒ぎするマナー悪いやつやろ」みたいな感じでした。
初回のイベント当時に、コンセントの延長貸して下さいと言うたら、凄く嫌がられたのを覚えてます。DJに貸すコンセントは無い!みたいな(笑)。

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